「読書の秋」ということで、今年の秋は本当に久しぶりに漫画以外の本を読みましたが(文字にすると情けないな)、やっぱり読書は楽しいですね。本を読むようになればスマホに触る時間も減るかなと思いましたが、蓋を開ければそんなことはありませんでした(え)
というわけで、2023年11月の読書メーターです。11月に読んだ、
・「The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~」
・「面倒くさい日も、おいしく食べたい! 仕事のあとのパパッとごはん」
・「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え」
・「戦没農民兵士の手紙」
の4冊を紹介します!
The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~
The Book ~jojo’s bizarre adventure 4th another day~(集英社)
乙一・著
人気漫画「ジョジョの奇妙な冒険 第4部 ダイヤモンドは砕けない」のスピンオフ小説です。
物語は、広瀬康一と岸辺露伴が血まみれになった猫と出会ったところから始まります。この血まみれの猫は一人暮らしのとある女性の飼い猫で、康一と露伴先生が猫の後をつけていくと、飼い主の女性が血まみれになって死んでいるのが見つかりました。しかも、女性の死因というのが「屋内に居ながらにして車にはねられた」ことによる出血多量だというのです。いきなり奇妙ですね。
物語は、
・康一たち
・人並み外れた記憶力を持つ少年『蓮見琢馬』と、そんな琢馬とひょんなことから出会い惹かれていく少女『双葉千帆』
・恋人『大神照彦』の不正に気付いた結果、口封じされそうになりビルから突き落とされる『飛来明里』
の3つの視点から描かれます。奇妙な事件を追う康一たちに、不思議な雰囲気の琢馬に惹かれていく千帆に、ビルから突き落とされ、何故か誰も助けに来ない状況の中で大神と攻防を繰り広げる明里。この3つの物語が少しずつ繋がっていき、謎が少しずつ明かされていく構成がとても心地よいです。小さな伏線回収がたくさんある感じです。
事件を追う途中で、仗助(ジョジョ4部主人公)の母親が事件に巻き込まれてしまいます。そこで仗助は改めて、事件の謎を追う覚悟を固めます。漫画本編のテンションより控えめではありますが「杜王町で奇妙な事件が起き、大切な人を守るために戦いに身を投じていく」という構成はもろにジョジョ4部のそれですよね。吉良吉影と戦う覚悟を決めた重ちーを思い出しました。
ジョジョなので、もちろんスタンドバトルもあります。作品オリジナルキャラのスタンドは、その効果の理屈も良い感じに屁理屈で、本編に登場するスタンドとも遜色ない感じがして良かったです。スタープラチナやクレイジーダイヤモンドのようなわかりやすい戦闘向けスタンドでない分、本体の技量と機転がこれでもかと描かれており、仗助や億泰との派手な戦闘を魅せてくれたのも良かったです。本編では戦績のあまりよくなかった億泰1の戦闘がカッコよく描かれていたのが嬉しかったです。
その他、地の文に、部を問わず様々なジョジョ本編ネタが織り込まれており、ジョジョファンなら思わずにやりとしてしまいます。作者の乙一さんのジョジョ愛も伝わってきましたね。
面倒くさい日も、おいしく食べたい! 仕事のあとのパパッとごはん
面倒くさい日も、おいしく食べたい! 仕事のあとのパパッとごはん(萩原印刷)
一田憲子・著
仕事が終わって疲れて帰ってきたときに、炊事をするのは面倒なことが多いです。僕はいつもそれに負け続けている気がします。そんなときの助けになってくれるのではないかと思って読んでみました。
調理工程を単純化する術を教えてくれたり、最低限の手順で様になる料理ができたり、ちょっとの手間で料理をワンランク上の仕上がりにしたり等、本当にお手軽なメニューから、自炊レパートリーを広げられるようなちょっと手の込んだメニューまで網羅されています。
「ベーコンを炒めた後の脂でキャベツを炒める」というのがレシピとして紹介されていたのを見て目から鱗が落ちましたよ。そういうのも立派な料理なんですよね。気になった物はひたすらメモをしました。
特に美味しかったのは、料理酒と水を半カップずつ入れて鶏もも肉を15分茹で、余熱で15分火を通して作る茹で鶏ですね。とても柔らかく仕上がりますし、調理後に美味しい鶏スープが副産物として出来上がるので、味を調えてそのまま飲んだり、海南チキンライスを作るのに使えたりします。
便利なレシピの数々は非常に参考になりましたが、何よりも後書きが心に刺さりました。
編集者だった著者の一田さんは、若き日、ひたすら仕事に一生懸命で「イチダさんに頼んで良かった」の一言をモチベーションに、全神経を仕事に集中させる日々を送っていたのだそうです。食事も外食がメインで、自炊をするのはまれでした。
そんな暮らしの中で、ずっと関わってきた雑誌が突如休刊となり、一田さんは心にぽっかりと穴が開いたかのように茫然自失となってしまいました。
そんなとき、思いがけず時間ができたこともあって、一田さんは久しぶりにスーパーで買い物をして自炊をしました。湯気の立つ器を並べた食卓を見たときに、一田さんは「ああ、なんて確かなんだろう」と思ったのだといいます。
一田さんはこれまでに仕事をがむしゃらに頑張っていました。自分の心の中の軸を、仕事を評価してくれる自分以外の存在(自分の外側)に求めていました。ですが、自分の外側に何かを求めても、それは件の雑誌休刊のように、自分のあずかり知らない事情などで簡単に無くなってしまいます。ゆえに、自分の外側に軸を求めるのはあまりに不安定なことです。それに対して、自宅での食事の時間は、自分がキッチンに立つ限りは何があっても絶対に無くならないものなのです。だから、自分の外に軸を求めることの不安定さに気付いた一田さんは、代わりに自分の軸を絶対に無くならない確かな「家でのご飯」に定めました。
確かに外からの評価というのはとてもわかりやすいものです。認められるというのはすごく嬉しいことです。でもそれは、自分以外の存在に依存することに他ならず、それだけをよりどころにしてしまうから自分の心も不安定になるのかもしれません。自分の行いで自分の心を安定させ、確かな自分の軸を持つ。これはとても大事なことだなと思いました。自分の外に軸を求めたとしても、それだけでは不安定ですが、自分の中にも確かな軸を持っておけば、仮に自分の外に求めた軸が折れても、まだ立っていられます。
便利なレシピ本のつもりで借りた本でしたが、まさかここまで大事なことを考えられるきっかけになるとは思いませんでした。やはり読書は新しい扉を開いてくれます。
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
表紙の写真を撮るのを忘れていました!
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(ダイヤモンド社)
岸見一郎、古賀史健・著
フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される哲学者、アドラーの考え方を、青年と哲学者との対話という形でわかりやすく伝える本です。東図書館に置いていなかったので鶴舞図書館から取り寄せました(笑)
……ですが、そもそもアドラー心理学自体がなかなか難解な考え方であり、本文中にも様々な考え方が次々に登場するので、最初は咀嚼するのが大変でした。
この本では初っ端から「人間の行動には原因があるのではなく、目的のために人間は行動する」と、現代の我々が当たり前のように信じている原因論を否定してきます。例えば「カフェで服に飲み物を引っかけられて怒鳴る」という行動をとったとき、原因論的な考え方では「飲み物を引っかけられたから怒った」ということになるのですが、アドラーの言う原因論的な考え方では「怒鳴るために『怒り』という感情を作り出した」ということになります。
このように、読めば読むほど常識だと思っていたことが音を立てて壊れていきます。今まで、本を読むときにメモをとることはなかったのですが、この本はいかんせん様々な教えが登場するので、読みながらメモをとりました。そして、自分なりに咀嚼してみました。すると、そこには現代社会の「なんだか生きづらい」と感じる閉塞感を打ち破るヒントを得られたような気がしました。
個人的に重要だと思ったキーワードは「課題の分離」です。これは「自分が為すべきことと、相手が為すべきこととを混同しない」という意味です。アドラー心理学では人間の悩みの原因は対人関係にあるとしていますが、対人関係においてトラブルが生じる一因に、課題の混同があります。要は、相手を思い通りに動かそうとするとトラブルが生じるということです。自分が何か働きかけをしても、それに対して相手がどういう印象を抱くかはあくまで「相手の課題」です。この考え方は昨今のSNS社会によく効く考え方だと思います。承認欲求に支配されたり、相手の視線が気になったりしますが、結局自分が何をしようと、相手が自分を好きになるかは「相手の課題」でしかないのです。承認欲求に関連して大小の失敗経験がたくさんある僕は、この考え方に救われた気がしました。
他にもたくさんの気付きがありましたが、書き連ねると記事の文字数がえらいことになってしまうのでとりあえずここまでにしておきます。折に触れて読み返したい本でした。アドラー心理学の考え方は、全てを完全に取り入れて生きるのは難しいかもしれませんが、それでも閉塞感を打ち破る「勇気」を与えてくれます。
戦没農民兵士の手紙
戦没農民兵士の手紙(岩波新書)
岩手県農村文化懇談会・編
この本は図書館で借りたものではなく私物です。年季が入った見た目ですが、それもそのはず。1979年の刊行です。祖父母宅にあったもので、どうやら若き日の父が読んでいたもののようです(最後のページに父の名前が書いてありました)。
タイトルの通り、第二次世界大戦にて農村より徴兵され、故郷の土を再び踏むことの無いまま戦死した「戦没農民兵士」たちが家族に宛てた手紙の数々が掲載されています。そこにはふるさとに残した妻、子供、年老いた両親への確かな思いが、真っ直ぐな言葉で綴られていました。当然ながら、この本に手紙が掲載された兵士たちは、元は農村で暮らす農民だったわけです。戦闘のプロというわけではありません。20代、30代という若さで死を遂げた彼らや、残された家族の無念を思うと言葉が出ません。戦争で傷つくのは一体誰なのかということを改めて考えさせられました。
冒頭のほうでは「大変な農業と比べて、軍隊での生活は楽なものだ」という内容の手紙が多かったのですが、章が進むにつれて戦況も悪化していき、手紙の内容も人を撃った話や、戦友が戦死を遂げた話、さらには「遺言状」へと移り変わっていきます… 最終章「死への行軍」の冒頭に載せられた手記「軍医への訴え」は特に悲痛な内容でした。手紙は検閲を受けるので、建前上は「お国のために散れるのは日本男児の誉れ」ということを書かざるをえませんでしたが、検閲を逃れて出された手紙というのも収録されており、それには家族を遺し逝く不安と後悔や、愛する妻に会えない悲しみ等が偽りなく書かれていました。
岩手県農村文化懇談会は、戦争の証言に農民たちの魂の声を加えたいという思いでこの本を出版したといいます。岩手県といえば、柳田國男が遠野物語を収集した土地でもあります。遠野物語はこれまで口伝のみで伝わり、記録として残されていなかった民衆の風俗を、初めて「史料」という形にしたものです。この本に収録された戦没農民兵士の手紙もまた、何よりも生々しく戦争の姿を伝える史料であり証言でした。
一方で、あとがきに記された当時の農村の現状を知ると、戦没農民兵士の手紙の数々はまた違った見え方をしてきます。当時の農村は貧しく、多忙で、子供が学習を受ける機会にも乏しい場所でした。そして、軍隊は様々な立場の人物が徴兵されることから、農村の男性にとっては軍隊教育という名の高等教育を受けたり、様々な考え方を持った外の世界の人々に触れたりできる場所でした。このことを踏まえて手紙を改めて見直すと、幼い子供に「うんと勉強しなさい」と呼びかけたり、家族に「軍隊は農業より楽だから心配ない」「〇〇円を送る」と呼びかけたりする手紙が多かったのは、農村の激務や貧困を如実に表していたといえます。もっとも、あとがきの部分には岩手県農村文化懇談会の主張も大いに入っている点には留意すべきですが。
終戦からそろそろ80年経とうとしており、第二次世界大戦を知る世代もどんどん亡くなられています。だからこそ、このような史料は受け継がれていくべきでしょう。知っているのと知らないのとでは、戦争に対して抱く感情も変わってくると思います。
読みたい本は他にもたくさんあります
2023年11月には、ジャンルの違う4冊の本を読みました。どれも違った形で学びや心の栄養になってくれたような気がします。
「暇さえあればスマホばかり」からはまだ脱却しきれていませんが、図書館を覗くようになってからというもの、様々な本に興味がわいてきたので、様々なジャンルのものを読んでみたいです。
あとは、人から貰ったのは良いものの、まだ読んでいない本も結構あったりするので、それも読んでいきたいところです。
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