道の駅紹介
岩手-02 高田松原
第1回(1993年4月)登録、2019年9月営業再開
所在地:岩手県陸前高田市気仙町土手影180 高田松原津波復興祈念公園内
津波で大きな被害を受けた道の駅
道の駅高田松原は、岩手県陸前高田市の国道45号線沿いにある道の駅です。
ここも三陸沿岸の道の駅の例に漏れず、2011年の東日本大震災にて津波被害を受けています。後ほど詳しく述べますが、その被害はとても甚大なものでした。
そんな甚大な被害を乗り越えて、2019年9月に「高田松原津波復興祈念公園」の一部として8年ぶりに営業が再開されました。
施設は物産館やレストランのある「道の駅高田松原」と、東日本大震災の津波の記録を残す「東日本大震災津波伝承館」から構成されています。
三陸の恵みの揃う「道の駅高田松原」
道の駅高田松原の施設は物産館、レストラン「まつばら食堂」「たかたのごはん」、喫茶コーナーの「すなば珈琲高田松原店」から構成されています。
物産館では陸前高田市の野菜類や海産物を幅広く取り扱っています。三陸の特産品の牡蠣やわかめ、地元の旬の野菜、地元で醸造された醤油などがあり、地域の台所的な側面もあります。
お土産物も充実しており、三陸の銘菓や海産物の缶詰、さらには「奇跡の一本松(後述)」にあやかったグッズもあります。
車に常備できる防災グッズのコーナーがあったのも印象的でした。
レストランへは今回立ち寄りませんでしたが、まつばら食堂では海鮮丼を、たかたのごはんでは地域のブランド米「たかたのゆめ」を活用した定食類を提供しているようです。少し前までは牡蠣、めかぶ、いくらを乗せた「たかた丼」という名物メニューがあったようですが、鮭の不漁に伴ういくらの価格高騰により2022年7月末で残念ながら提供を終えています。
喫茶コーナーのすなば珈琲は、スタバをもじった鳥取県の喫茶店です。陸前高田市の復興に鳥取県が関わった縁から、初の県外出店として道の駅高田松原に出店したのだそうです。
そんな道の駅高田松原の売店で、いくつかお土産を購入しました。
一つ目は、奇跡の一本松を象った「高田松原Tシャツ」です。渋い色合いと、洒落たデザインに惹かれて購入してみました!
表面はシンプルですが、背中で道の駅アピールをしています。「土産アリ〼」の部分が素敵です!
着心地も良い感じだったので、Tシャツが本格的に活躍する夏場に着るのが楽しみです!
もう一つ購入したのは、三陸名物「いちご煮」の缶詰です。
今回購入したいちご煮はホタテ入りのもので、うにとホタテを潮汁(魚介出汁を少量の塩で味付けしたもの)に仕立てています。乳白色の汁の中に浮かぶうにが野イチゴのように見えることから「いちご煮」と呼ばれるようです。
缶の中身を鍋にあけて煮込むと完成です!(大船渡のさんまを添えています)
せっかく煮込んだのに、盛り付け方が悪くてうにもホタテも沈んでいますが(笑)
ほんのりと優しく、それでいて旨味をダイレクトに感じられるシンプルな味わいの潮汁の中に、柔らかく煮込まれたうにとホタテが入っています。まろやかな口当たりと、ほろりとほどける食感は、まさに贅沢そのものでしたね!これはいつかできたてを食べてみたいです。
津波の記録と記憶を残す「東日本大震災津波伝承館」
前述の通り、道の駅高田松原は高田松原津波復興祈念公園内の施設として整備されています。
建物の向かって右側は道の駅の施設となっていますが、左側は「東日本大震災津波伝承館」という入場無料の施設です。
東日本大震災津波伝承館では、津波被害の様子や、津波で破壊された物、生々しい津波の証言の数々などを展示しており、東日本大震災の津波の記録と記憶、およびそこからの復興の歩みを知ることができます。館内は一部を除いて写真撮影が許可されています。
国道の橋が壊れ、消防団の車両も壊れ、標識が大きく変形して流される。そこには生々しい自然の脅威の痕がありました。
こういう学校備品なんか、使っていた人がいたわけで。それが無残にも押し流されて、こんな姿になってしまうなんて。持ち主は無事だったのだろうか、など、いろいろなことを考えてしまいました。
壊れた標識とはまた違った怖さがありました。当たり前だった日常が、突然流されてしまった理不尽さを思ってやりきれなくなりました。
このような「物証」の他にも、震災当日の証言をまとめた文集もあります。警報を軽く考えていた知人や家族を救えなかった後悔や、生まれ育った家や街が無くなってしまった悲痛な叫びや不安な気持ちなどの証言は、読んでいて非常に心が痛みました。
東日本大震災の日のことは、今も覚えています。といっても、僕はその頃岡山にいたので、被災はしていません。その日、僕は高校で大学の後期試験の面接の練習をしていました。そろそろ休憩にしようかと思っていた時に、物理の先生が教室に入ってきて、ぽつりと「東北で震度7」と言いました。その数字に現実味を感じられなくて「まさか…」と思いながらもインターネットでニュースを見てみると、どうやら本当らしくて。その後、迎えに来た親の車の中で流れていたラジオ番組は地震と津波の話題ばかりで「本当に大変なことになったんだな…」と理解しました。
……それでも遠く離れた場所のことだったので、これまで今一つ深刻さを真に理解できていなかったところはありました。だからこそ、東日本大震災津波伝承館を見学して初めて、その深刻さを初めて思い知りました。
今なお残る震災遺構の数々
続いては、施設の外に出て、高田松原津波復興祈念公園を散策してみます。
道の駅高田松原および東日本大震災津波伝承館の建物はゲートのような形状になっており、そこを通り抜けると献花台を備えた一面の芝生の広場「追悼の広場」があります。(撮影禁止)
公園からは海に出ることができます。その日の太平洋は穏やかな波が押し寄せていました。
そして、海までの道には松の木が植樹されています。
……実は「高田松原」という名前の通り、このあたりの砂浜はたくさんの松の木が生えた「松原」でした。
ですが、津波によって松の木はほぼ全て倒壊してしまったのです。
ほぼ全ての松が流されてしまった中で、唯一流されずに残った松が「奇跡の一本松」なのです。この一本松は復興への希望の象徴となりました。現在は木としては枯れていますが、処置を施したうえでモニュメントとして保存されています。
先ほどの松の植樹は、津波により消失した高田松原の再生を目指したものです。これから長い時間をかけて、見事な松原になっていくのでしょう。
ところで、東日本大震災津波伝承館の見学の際に、受付の方から震災前の道の駅高田松原の様子についてお聞きしました。
現在は上の写真のように、道の駅高田松原の周りには何も無いのですが、かつてはこの辺りにも建物が建っており市街地があったようです。
市街地が津波で流されてしまったというわけですね。
近くにはマリンスポーツ等のアクティビティができる施設や、宿泊施設(陸前高田ユースホステル、上の写真)があり、賑わいを見せていたようです。
道の駅高田松原の旧施設も震災遺構として残されています。かつては名前の通り、高田松原の観光拠点として賑わっていたようですが、今では津波被害の凄惨さを物語る場となっています。
これは横から見た旧道の駅高田松原なのですが、建物の最高地点の近くまで波が押し寄せたようです。ですが、この建物の上まで登って間一髪で津波に飲まれずに済んだ方もいたのだとか。
実際の証言と合わせて震災遺構を見ると、震災と津波の凄惨さがますますリアリティを持って迫ってくるように思いました。
三陸地域は東日本大震災に限らず、これまでに様々な津波被害を受けてきた地域です。そして、おそらくは今後も津波被害に見舞われることがあるかもしれません。防潮堤の整備など、ハード面での対策も重要ですが、津波の危険性を理解することや、いざという時に動けるように備えておくことなど、住民一人一人の意識というソフト面での対策も重要であり、これこそが災害から学び自然と共生するということなのかもしれないと思いました。
道の駅高田松原 まとめ
東日本大震災で津波被害を受けた道の駅高田松原は、高田松原津波復興祈念公園内の施設として2019年9月に営業を再開しました。道の駅では陸前高田市の野菜や海産物、三陸土産、奇跡の一本松関連のお土産などを購入できるほか、地元の海産物やお米を使用したグルメも味わうことができます。
併設された東日本大震災津波伝承館並びに、高田松原津波復興祈念公園では津波被害の凄惨さと、復興への歩みについて知ることができます。
あらゆる点で、陸前高田市のことを深く知ることのできる道の駅です。
おまけ
道の駅高田松原の撮影、取材には事前に許可が必要で、慰霊関係の場所ではカメラを回すことができません。
なので訪問前日に、道の駅ホームページから撮影申請書をプリントアウトして記入し、道の駅高田松原の担当者にPDFで送ると、翌日に電話がかかってきました。
(担当者)あの撮影申請書はメディア向けのものなので、個人ブログで使う写真を撮る分には、他のお客様に迷惑がかからない範囲内なら特に申請はいらないですよ。
なるほど…
……どうやらブログ用に一人で撮影する分には特に許可はいらなかったようです(笑)
「撮影機材は何ですか?」の質問に「スマホです」と答えた時点でお互い「何か変だな?」と思ったことでしょう(苦笑)
ご丁寧な対応に感謝致します!
津波からの復興を遂げた街の道の駅の紹介記事はこちら↓
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